ドイツ文学の旅

著者 山下 萬里

ドイツ文学の旅
-森鷗外とベルリン-

拓殖大学教授(ドイツ文学)
山下 萬里

ベルリンは森鷗外作『舞姫』の舞台

ドイツ文学の旅
フンボルト大学。言語学者ウイルヘルム・フンボルトにより創設された。ドイツ帝国時代の宮殿を校舎として使っている。 ドイツ文学の旅
ドイツ留学時代の森外。

1989年にベルリンの壁が崩壊して、今年で20年がたち、夏にはそのベルリンで「世界陸上」が開催された。男子と女子のマラソンをテレビ中継でご覧になった方も多いことだろう。ブランデンブルク門をスタート地点に、選手たちが南方向に走り出すと、以下、沿道の風景や建物も次々とテレビに映し出された。無数の墓石や棺の並べられたかのようなホロコースト記念碑。ソニーセンターのあるポツダム広場。ティーアガルテンに立つジーゲスゾイレ(凱旋塔)。世界遺産の博物館島。森鷗外らも学んだフンボルト大学…。すべてをここに挙げることはできないほど、首都ベルリンの数多い観光名所をめぐる4周コースだった。

ベルリンというと、ドイツ文学そのものではなく、森鷗外の『舞姫』を思い浮かべる方も少なくないだろう。『舞姫』の舞台は、ほぼ全篇ベルリンである。主人公の官費留学生・太田豊太郎は、ある日の夕暮れ、「獣苑を漫歩して、ウンテル、デン、リンデンを過ぎ、我がモンビシユウ街の僑居に帰らんと、クロステル巷の古寺の前に来」て、エリスに出会う。

ドイツ文学の旅
改装され美しくなった現在の「森外記念館」。

120年近く前に我が国で発表された小説であっても、変貌著しいベルリンにもかかわらず、今もなお、いや、「東」と「西」の境もよくわからなくなった今だからこそ、豊太郎が歩いた道すじを自由にたどることができるようになった。ベルリンに「森鷗外記念館」が存在すること、それが鷗外の第一の下宿があった建物であることも、よく知られていよう。『舞姫』が我々の旅情を誘ってやまないゆえんである。

たとえば、今回のベルリン・マラソンは、1周10キロメートルのコースを3周し、4周目だけ数キロ長くすることで42,195キロの規定距離を満たしていた。選手たちは最後に左折し、シュプレー川を渡って、旧東ベルリンのランドマーク、アレクサンダープラッツ駅前のテレビ塔をまわり、マリエン教会の脇を走ってから、ウンター・デン・リンデンに戻り、ゴールのブランデンブルク門を目ざした。このベルリン最古の教会のひとつであるマリエン教会は、わが国でもつとに知られているが、それは、この教会こそが『舞姫』の「クロステル巷の古寺」のモデルと一般に見なされてきたからなのである。

上の引用部の道すじをさらにたどってみたい。「獣苑」とはティーアガルテンのこと。ブランデンブルク門は、ウンター・デン・リンデンとの間にある。主人公はマラソンとは逆方向に歩いている。豊太郎の住居があったという「モンビシユウ街」は、新シナゴーグの近くに実在するが、研究によって鷗外の留学時代には未建設の道路だったことが実証された。しかしよく似た地名の場所は当時も存在したし、鷗外の住居もそばにあった(第三の下宿)。一方の「クロステル巷」は、Uバーン(地下鉄)2号線にクロースター通り駅があるから、簡単に行くことができる。ただし「この狭く薄暗き巷に入り、楼上の木欄に干したる敷布、襦袢などまだ取入れぬ人家……」と作中に書かれるさまとは異なり、宏壮な建物の並ぶ立派な通りである。現存するのは往時の3分の1ほどの長さでしかなく、鷗外はこの通りの97番地にも住んでいた(第二の下宿)が、周辺は取り壊されて、テレビ塔の立つ広場などになっている。いずれにせよこの「僑居」や「古寺」があったのは、アレクサンダープラッツ駅から、今では屈指の人気スポットになっているハッケシェ・ヘーフェのあるあたりにかけて、と考えられる。

 

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